「愛にできることはまだあるかい」という問いについて

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どうもこんにちは! 最近テスト前やらなんやらで全然ブログには手をつけられておりません。が、久しぶりに書いてみます。

表題は、7/19(金)より公開の映画「天気の子」の予告編に使われている、RADWIMPSの曲ですね。

今日NHKの「おはよう日本」で新海誠監督がインタビューを受けていて、そのコーナーの終わりにこの曲が流れるわけですが・・・ ♪愛にできることはまだあるかい〜 っていう歌詞を聞き流しかけて、

むむむ、愛にできることはまだあるかい、ってなんて示唆に富んだ歌詞なんだと感じたわけです。

「愛」という言葉は、以前何かにつけて愛という言葉を使っていた先輩がいたので、ひっかかる言葉ではあるんですよね。また、愛を語るな、と言われてしまいそうですが。冗談です。

“あの人にできることはまだあるかい” ではない

この歌詞の肝は、愛にできることがまだあるか、ということであって、決して、「あの子に」とか「あの人に」というわけではないんだと思います。

あの人のためになりたい、この人たちのためになりたい、という感情は間違っていません。だけれども、具体的な「何かをしてあげよう」という発想でいけば、世の中うまくいくことはあまりないように感じます。その人以外ができることなんて、そんなにありません。その人の代わりにできることなんて、ほぼありません。代わりにやることは、極端に言えば、その人の人生を奪うことです。

これは、「ヘルプとサポートの違い」という言葉で表せるのかなと思います。

私は何かしてあげないといけない、何もできていない。そういう感情が強すぎると、空回りします。私はこれだけ気にしているのに、という感情が、気にしてあげているのに、になります。そして、思い通りにいかなければ、「どうして分かってくれないの」となります。分かるわけありません。それは多かれ少なかれ押し付けなんです。こんな接し方をしていては、自分も、相手も、誰も得しません。ただただお互いしんどくなるだけです。

「自分にできることはない。してあげられることはない。けれど力になりたい」この発想にたってはじめて、真に人の力になれる、寄り添えるんではないかと感じるんです。

愛にできること。それは承認して信頼し続けること

話を戻しましょう。だから、「愛にできることはまだあるかい」なんです。その人を想い続ける、思いやり続ける、そういう感情にできることはまだあるのか、という問いなんでしょう。そう自分は解釈しました。

自分なりの答えを先に言ってしまうと、それは、「承認して信頼し続けること」

その人が悩んでいることを知ること。その人が懸命に取り組んでいることを知ること。その人がこれまでやってきたこと、経験したこと、その延長線上にあるはずの、その人の存在。その全てを承認し、認める、肯定する。

男女関係でもそうかもしれない。男女関係じゃなくてもそうかもしれない。「愛」という言葉は色々な感情がある。それは、アイデンティティかもしれないし安心感かもしれないし、「愛したい」という人間的な感情なのかもしれない。

けれど、愛には、きっと。

あなたはここにいていいんだ。あなたはそれでいいんだ。

という自分や相手へのリスペクトや承認が、きっとあるはずです。

結局語っちゃったかな 笑

まとめ

愛にできることはまだあるかい。僕にできることはまだあるかい。

歌詞の中では、「僕」にできること、についても言及するわけですが、「僕」にできることと言えば、それしかできないんです。その、「まだ」というのは、愛し続けること。信じ続けること。その人の存在を認め、応援し続けること。

それしかできない、といいました。けれど、それこそが、それをしてくれる存在が、実はその人にとってかけがえのない存在なのかもしれない。

そういうことなんじゃないかとい思いつつ、筆を置きたいと思います。

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