はじめに
最近、自分の中でのアウトプットしたい感情が爆発していて、なんか数ヶ月分の気づきをしてる私です。ブログネタ、特にnoteネタについてはたくさんあるのですが、いまいち書いていても自分の考えがまとまっていないから途中で何が描きたいかわからなくなってしまうんですね。ということでこの投稿も書き直しています汗 まあ、文章化することは自分の考えを整理するということなので、それはそれで大丈夫でしょう。はい、また前置きが長くなりました。
さて、自分の感覚に自信がない、と書きました。これはどういうことかというと、
自分が何かを最終的に決定するという場面で、自分は急に、自分の感覚に不安になるな、ということに最近改めて気づいた
ということです。いい気づきですね。自画自賛。
今回はこのことについてnoteにしたいと思います。
思えば昔から自分の感覚には自信がなかったかもしれない
2回生の時に集大成発表で発表した内容については、皆さん記憶に新しいと思いますし、この発表をどうして行ったかについては、またnoteにしたいなと思っているんですが、さて、自分が1回生の受講生時代に、集大成発表で何を発表したかというと、まさに今回のテーマなんですね。
「どこか、自分の感覚に自信を持てない自分がいた」
ってことです。さもありなんって感じで書いてますが、今回の気づきを考えていくうちに、「そういえば自分の1回生の集大成のテーマってこれやったな」と思い出した感じです。
自分はどこか、周りの子と感覚が違うのかな、自分が変わっているのかな、とは薄々感じてはいて。
そんな自分は変わっているのかな、という感覚を支えていたのは、
「自分は他の子より賢いから」
というちょっとした優越心だったのではないかと、最近思うんです。
けれど、そんなことをあからさまに出してたら嫌われますよね。だから私は、もしかしたら相手より下手に出ることを覚えたのかもしれません。
私はこうでないかと思う。なぜならこういう理由があるからで….
という風に、「こう思う」という感覚よりも、「こう思ってしかるべき理由」の理由づけができる、という点を担保に、自信のなさを補っていたのかもしれないなと感じます。
「自信のなさが露呈する2つの瞬間」
さて、これまで自分は、「自分の感覚へは自信がないけれど、自分の感覚には理由の裏付けができる」ということを担保に、人とコミュニケーションをとってきました。ところが。大学生になって、途端にその担保が崩れ、「自分の自信のなさが露呈する瞬間」があることに気が付いたんですね。しかもそれは、今のところ2パターンあることに気づきました。
- 「自分より頭がいいかもしれない」という人に否定された時
- 自分が決断をしなければならない時
この2パターンです。
①「自分より頭がいいかもしれない」という人に否定された時
さて、自分の自信のなさを担保していたのは、「この人よりも、自分の方が頭がいいはずだ。だから、この人の言ってることは100%ではないんだ」という、まあ究極の適応規制だったわけです。
申し訳ないけれど、部活の顧問であるとか、担任であるとかに、自分の言動について指摘を受けた際、
私の方が筋が通ってるはずなんだけど、まあ仕方がない
という風にどこか聞き流している節があったし、少なくとも、自分の感覚を前提にする上で、その言葉を受け取ることができていた。
ところが! 「自分より頭がいいかもしれない」と思ってしまう相手に対しては! そうはいかなくなったんですね。
「この人は自分より頭がいいかもしれない」というのは、なんというか、肌感覚でわかるんです。もう少しいうと、「この人は私が考えている以上の理屈をつけて反論しているのかもしれない」という思い。一旦その人のことをそうやってカテゴライズしてしまうと、ものすごい自分は萎縮してしまうんだろうなと感じるんです。
こう感じてしまうと最後です。自分の自信のなさを補っている「理由づけが間違っていない」という自負が脅かされると、途端に「自分の感覚への自信のなさ」が露呈して、身動きが取れなくなってしまうのです。
②自分が決断をしなければならない時
私は普段から自分の意見に裏付けを求めている
私は、でしゃばりというか、いろいろなことに意見をしたがります。
これはこうしたほうがいいんじゃないか、ああしたほうがいいんじゃないか。創意工夫をすることが好きなのもありますが、それよりも、「どこか気になってしまう」とか、「何か喋りたい」という元からの気質によるところが大きいかもしれません。
けれど、上に書いた「自分の感覚に対する自身のなさ」から、私は時に過剰に、他の人からの確認を求めているなと最近気づきました。これでいいかな? とか、大丈夫かな? とか。
それはものすごく大事なことではあるけれども。けれど。どこかのタイミングで自分が決断しないといけない時に。ものすごく不安になるんです。
「自分の決定」が怖い
そう、そういうことなんです。「自分が自分の見方・感覚に対して自信を持っていない」
以前は、なんだかんだいって、自分が決断したことがそのまま反映されうるという状態になることは少なかった。
しかし、最近はそうでもなくて。場合によっては、「自分が決断した」と言えたほうが解決する場合が出てきているんです。
もちろん、自分の見方を過信しないというのは重要なこと。何でもかんでも「自分が」決定したいわけではなくて。むしろそこは従来通り、みんなの意見を聞いていきたい。
ただね、私は自分が決定するために意見を聞いているというより、自分の見方が不安すぎて、他人の見方の承認を得ることに、少し依存しすぎているような気がするんです。
自分がいざ決断するとなった時に、自分の見方に自信が持てるように。
取る行動は同じでも、捉え方を改めていけた方がいいんじゃないかなと、最近思っています。自信を持って決断しないと、どこか、主体性が足りないような気がするんです。
自分の見方に自信をつける
「もしかしたら自分は自分の感覚に自信がないのかもしれないな」そう思うことから始めていきたいなと感じます。