私はアンパンマンが好きだった

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こんにちは!! さて、1日1投稿以上、5時更新というのができるのかわからないまま、4:30から書き始めています。大丈夫なのでしょうか。

さて、今回のエントリは、「私はアンパンマンがすきだった」です。
小さいとき、アンパンマンの歌しか歌っていなかったし、よくアニメを見ていました。物心が付き始めた頃から好きで、おそらく小学2年生までは見ていたように思います。それ以降も母親からは、アンパンマンが好きだった優しい息子、とよくいわれます。
今日は、そのアンパンマンをテーマに書いてみようと思います。といっても、最近アニメを見返しているわけでもないので、本当にインプレッションというか、自分の記憶を頼りに書く形になりますが。

決して暴力を使わない

最近なんか、アンパンチが教育上どうのこうのとか界隈で盛り上がっているようですが、私がこの記事書こうと思ったのは全く関係がなくて。それはまた後で触れますが。
というか、アンパンマンはむしろそういった暴力とは全く逆であると私は思っています。ほかのウルトラマンとか、そういった戦隊ものと比べても。そう、私、ウルトラマンとかそういう男子っぽい、アニメは大嫌いで。まあ、食わず嫌いだったかもしれませんが。実はそういった戦隊ものを全く見たことがないんですね。当時から暴力的だと思っていました。
それにくらべ、アンパンマン、「アンパーンチ」くらいじゃないですか。しかも、ばいきんまん、アンパーンチしたところですぐ復活してるじゃないですか。そういった、優しさが大好きでした。
アンパンマンが、やなせたかし先生の戦争体験を経ているということは、大きくなってから知りました。やはりこのアニメには、非暴力の考え方は根底にあるように感じています。

優しい。とにかく優しい。

私はアンパンマンにあこがれていました。優しい、とにかく優しいんです。困っている人がいれば、自分の顔をわけてあげる。ものすごく自己犠牲的です。ジャムおじさんには敬語を使う。
そして、そんなやさしいアンパンマンには、人が自然に集まってきます。みんなから慕われます。私はそんなアンパンマンにずっとなりたいと思っていました。

なんのために生まれてなにをして生きるのか

やなせ先生が亡くなったとき、この歌詞がしきりに取り上げられましたが、最近この歌詞にふれる機会がありました。高校の友達にあったとき、ふと、友達がこの歌詞を口ずさみました。改めて、この歌詞の奥深さに気づかされた、だから、今回このタイトルでブログを書くことに決めました。
1番の歌詞はこうです。

「なんのために生まれて、なにをして生きるのか。答えられないなんて、そんなのは嫌だ」

2番の歌詞。

「なにが君の幸せ? なにをして喜ぶ? わからないまま終わる。そんなのは嫌だ」

かなり強い言葉です。わからないまま終わる、とはどういうことか。わからないまま死ぬってことですよね。1番、2番のこの問いは、メロディとは反して、強く心に訴えてきます。
「なんのために生まれて、なにをして生きるのか。」これはずっと問い続けていかなければならない問いに感じます。無理矢理結びつけるように感じるかもしれませんが、これは、アイデンティティ、とも言い換えられるかもしれません。間違いないです。自分がなにをして生きるか?という問いに答えられないなんて、確かに嫌です。
そして、今打ちながら思ったのですが、これは、消極的な捉え方もできるかもしれません。
「弱者を排除し、攻撃的になり、他者を陥れるような生き方を、君はするのか。それでいいのか。」そんな問いかもしれない。実際そういう生き方をしている大人って、世の中に意外にいたりしますから。

何のために生きるのか

「何のために生きるのか」この問いを失ってしまうと、時に、人を傷つけたり、だましたり、陥れたりする生き方をしてしまうかもしれません。人ってもろいです。
けれど、逆に「何のために生きるのか」という問いを、立ち止まって考えてみる。そうすれば、誤った道から、戻ってくるきっかけになるかもしれない。あるいは、誤った道に進まずにすむかもしれない。そんなことを思う今日この頃です。

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