はじめに
こんにちは、ライターです。
さて、今日はタイトルの通りなのですが、コロナについて、思ったことを書いていきたいなと思います。
コロナ、って、ほんと最近聞かなくないですか? 私自身、人との会話でも、「コロナの時は」、みたいな感じでほぼ過去のものみたいになってしまっているように感じます。
それは、コロナが5類に移行したから、みたいなのも大きいんでしょうが、社会全体として、あまりにぬるっと動きすぎているような気もして、ちょっぴり怖いなと思ったりもあります。
これは個人的な意見なのですが、時期的に、「コロナ禍とはいったい何だったのか」ということについて、社会や行政、企業、さまざまなレベルで振り返る、総括するタイミングに来ているんじゃないかな、とも思ったりします。
あの時私たちはどう行動したんだろうか。どのように行動したんだろうか。それは振り返ってみてどうだったんだろうか。
政治や社会のレベルでは、あの時の私権制限はどうだったのか。あの時出した水際対策は適切だったのか。
また、あの時はある意味での分断をたくさん産んだんだと思います。経済を優先するのか、感染対策を優先するのか。私たちは1つの社会にいるんだってこと、国とは何か、政府とは何なのか、多少なりともみんなが意識したんだと思います。
きっと今だからこそ検証できる問い、残っている問い、たくさんあるはずです。
それはもちろん、結果論的なところも往々にしてあるのかもしれません。けれど、たとえ結果論的であっても、検証することは大事だと思います。それに、結果論的でなくても、当時の判断としてあれは限界だった、とか、判断そのものにフォーカスして振り返ることもできるはずです。
前置きが長くなってしまいましたが、2024年の今、コロナ禍を振り返って私が思うことについて、この記事を書いている中の人目線と、社会全体の目線で振り返りながら、つらつらと書いていけたらなあと思います。
また、念のために書いておきますが、この記事の中では、「コロナ」の登場から第一波までを、当時の報道を引用しながら、追体験していく部分があり、一部の方にとってはストレスを感じる場合があるかもしれません。万一そうした場合には、この記事の閲覧を中止するなどしてください。
振り返り
「コロナ」の登場から第一波 緊急事態宣言に至るまで
全ての始まり
さて。全てはこのニュースから始まります。
原因不明の肺炎で死者が出た、という、2020年の1月6日のニュースです。
最近は、全ての情報、特に報道などがネットにある時代です。ニュースとかも、報道された当時のまま残っています。さらに、YouTubeやGoogle検索で、検索演算子を使って、期間を指定して検索することも可能ですから、当時どんな情報が駆け巡っていたのかを知り、思い出すことができます。
例えば、コロナは最初、「中国で発生した原因不明の肺炎」という形で報道されましたから、
「中国 肺炎 before:2020-2-1 after:2019-12-1」とかで検索すれば、当時のピンポイントの情報を検索できます。
また、Wayback Machineも強力なツールです。Yahooトップページとかを調べてみると、当時どんなニュースがトップニュースになっていたかわかります。Yahooの2020年のWebArchiveはこちらから。
さらに、NHKが「新型コロナ関連記事全記録」という形でまとめてくれています。正直これが一番わかりやすいかもです。
さて、これが上のニュースに対応する厚労省の発表で、初報は、2020年1月初旬にあったということになりますね。
そして、このニュースですが、YouTubeを追う限りでは、その約10日後の2020年1月16日に、ヒトヒト感染が否定できない、とか、日本で初確認、という報道が出てきたりします。この頃は、「過度に恐れないように」という報道もよくありました。それだけ、このウイルスに対する情報は出揃っていなかったんですね。
そしてこれが大きなニュースになるのが、「武漢封鎖」が行われたタイミングです。これが、2020年1月23日のこと。
ただ、この時は、何が起きているのかよくわかっていない人が多かったように感じます。隣の中国のことで、まさか数ヶ月後同じような「都市封鎖」「ロックダウン」が全世界の都市で行われることだなんて、誰も想像していなかったような気がします。
2023年1月23日にWHOが「公衆衛生上の緊急事態」に当たるか議論するものの、「中国に限定的」と先送りしました。しかし、次の1月30日までに事態が様変わりします。各国でコロナウイルスの感染者が報告され、各国がWHOの判断を待たずに、航空便の取り止めなどを次々実施。1週間後、WHOは緊急事態を宣言します。この経緯も、のちのち、「遅い」と批判されました。(関連記事:毎日新聞、BBC)
ただ、この辺りの流れも、私は「大変そうだな」みたいな反応で、まだまだ自分ごととして捉えきれていなかった気がします。WHOとしても、「医療体制が脆弱な国に向けて」という感じなので、かなり抑制的、混乱を避けたい、というニュアンスが報じられますね。
また、「中国の対応を評価」というところも後々WHOバッシングにかなり繋がった気もします。が、今振り返ってみると、アウトブレイクした感染症にロックダウンや、ユニバーサルマスキング、体温計測、などの対応をすでにこのタイミングで徹底的にやっている、という点については、WHOが客観的に評価ができる、と主張するのは、事後的にみても頷けると思います。この光景も余計異世界感があって現実味なかったですよね。数ヶ月後から数年間「ニューノーマル」になるのですけれど。
さて、ここまでの経緯ですが、いくつか考えておきたいポイントがあって、一つは新型コロナの起源はどこなのか?ですよね。これは割と今でもコンスタントに話題になってる気がしますが、ぜひ関心を持ち続けたいなと思っているポイントです。(関連記事:ロイター通信)
また、中国政府がどのタイミングで、「謎の肺炎」の発生を把握し、情報調査し、WHOをはじめとする国際機関に報告したのか、実際はどうだったのか、というのは、是非とも時間をかけて、静かな環境で検証してほしいと思っています。(関連記事:ロイター通信、BBC)
中国政府はSARSの時に情報公開がかなり遅れたと批判されており、今回は積極的に情報を出したと報道されています。こうした、国際的な情報共有やWHO対応などについても、事後的な検証や評価を進めてほしいです。(関連記事:ロイター通信、東洋経済オンライン)
クルーズ船
このウイルスが次に大きな話題となのが、その2週間くらい後、クルーズ船「ダイヤモンドプリンセス」で感染者が発生した。感染者は船内で隔離される。しかし船内でも感染が広がっている。こんなニュースでした。さらに、世界各国でも注目されました。
このニュースの初報は、2020年2月3日です。
クルーズ船に乗っていた乗客が、香港帰国後にコロナウイルスに感染していたことが発覚。これを受けて乗客全員の検疫を実施。その間乗客を船内に待機させる。この報道から始まっています。
船内隔離がどうだったのか。このウイルスに対して、当時よりも多くの情報や、全ての経緯を知っている私たちや、専門家の目から見て、検証は必須だと思います。
さて、そこからさらに1〜2週間経ってくると、いよいよ、「コロナ」というものが身近になり始めてきます。
この頃中の人は何をしていたか
さて、この頃私は何をしていたのかというと、所属していた団体の新入生獲得に向け動いていました。ですので、ここからの動きというのは、結構正確に覚えていたりします。
私の大学では、この年は、2020年2月18日に、推薦入学者向けの入学手続きが行われ、そのタイミングで新歓っぽいことを行います。私の所属していた団体では、この「手続き」に向けて、「募集活動」というのを展開します。
2020年2月18日の入学手続きでは、例年通り行えているんですよね。また、同じ日に学科の先輩の卒論発表が行われましたが、これも、例年通り行われています。
ただ、多分この手続きを終えた直後あたりから、制限され始めたはずです。
当時の資料やHP等を見返すと、この記憶は正しかったことがわかりました。
2月19日に、私が所属する大学で、「新型コロナウイルス緊急対策本部」が設置されます。そして、その3日後、次のような通達が出されます。
主な内容は、「2月25日〜3月20日までは、大学主催イベントや集会について、原則、開催中止または延期を要請」というもの。
なので、ここが、私にとってコロナが日常生活に影響を与え始めた、一つのターニングポイントです。
ここで注目したいのが、「当面一ヶ月間」としている方針や、「大学主催イベントは全て中止するけれど、卒業式はやる予定」みたいな温度感ってことですね。
「緊急メッセージ」にも触れられていますが、世の中的にも、日本で初の死者、とか、海外渡航歴のない複数の感染者とかがで始めた時期です。
そして、私はというと、2020年2月22日〜25日に、船で長崎に家族旅行していて、船の上でLINE通話をしながら、今後の募集の方針について話し合ったのを覚えています。といっても、関わっている大人の人たちに情報の収集が必要、という感じでしたけれど。
そして、こうした潮目がパタっと変わったなと現場として肌感で感じたのは、この報道でした。
私の知る限り、卒業式・入学式を、さきがけて、最初に中止する、という判断をしたのが、近畿大学だったと思います。余談ですが、受け止めとしては、近大っぽい、って感じでした。先回って判断することでリスク管理をアピールしたい意図もあるのかなと当時は邪推してました。ただ、実際素早く、適切な見通しの上での合理的な判断だったと思います。
「この1~2週間が瀬戸際」
この前日となる2月24日には、国の専門家会議が「この1~2週間が瀬戸際」というメッセージを出しており、世相的にも、中止・自粛の流れが広がりました。
こうした流れの中で、私の大学でも、対策がどんどん強化され、3月14日、15日に予定されていた前期入学手続きは、学生の数を極力減らし、縮小させていくみたいな話が当初あったものの、最後には、結局学生は立ち入りができなくなり、ごく限られた形で行われました。
「この1~2週間が瀬戸際」という中ですが、まだ「3密」という表現は使われていませんが、「密閉・密集・密接」に
小中学校と高校の休校要請
そして、2月27日、全国の小中学校、高校で、3月2日からの臨時休校が要請されます。
私の中でこれは青天の霹靂感が強かったと感じています。急に、という感じですね。
この決定は官邸主導で行われた感があり、法的根拠も曖昧だったり、弊害が大きかった、という指摘もあります(関連記事:日経新聞、東京新聞)。私個人の意見としては、大人は普通に生活しているのに、なぜ直接声をあげられない小中高生の学ぶ権利が制限されているのだろう、と疑問に思ったのを覚えています。
もちろんいろんな意見があると思います。だから、この一斉休校の選択、1つとっても、さまざまな視点から、事後検証、事後的議論が必要なんだと思います。
1〜2週間、下手したら数日、数時間のうちに、刻一刻と事態が変わっていく、それに対して、翻弄されていく私たち、という構図が、改めて印象づけられます。
「緊急事態宣言」前夜
2月下旬に少しずつ本性を表してきた、「コロナ禍」の始まり。3月を迎えます。
この時期の記憶があんまりないので、WaybackMachineで3/1のYahooトップページを調べてみると、こんな記事がありました。「コロナよりも怖いのは人間」という、薬局で働いている人のツイートに関する記事でした。本当にまあ、世の中全体がギスギスしている時期だったなあと感じています。マスク、トイレットペーパーがなくなりました。令和の米騒動やオイルショックみたいな感じでしたね。近所のスーパーに行くと、本当にトイレットペーパーが売り切れていたのに衝撃を受けました。
(関連記事:NHK「トイレットペーパー「ほぼすべてが国産品で在庫は十分」経産相」)
3月11日、選抜高校野球は歴史上初めて中止を決定。WHOはコロナウイルスの感染拡大を、「パンデミックと言える」と発表しました。
この頃から、「自粛か中止か延期か」みたいなのがありとあらゆるイベントで言われ、中止延期の方向に動いていきます。
3月13日には、改正新型インフルエンザ等対策特措法が成立。「緊急事態宣言」の発出等が可能になります。
3月20日、21日、22日は3連休でしたが、関西では、「兵庫・大阪間の往来の移動自粛を」が呼びかけられたりしました。
今考えれば、「兵庫大阪間」以外はいいというメッセージになりかねませんし、有効なメッセージだったかは怪しいですよね。行政が把握している感染者数や、感染、潜伏期間、発症までのタイムラグを考えると尚更です。
後ほど、「この3連休で日本中の緊張が緩み、4月の感染拡大、緊急事態宣言に繋がった」とも指摘されました。
まあただ、「緊張が緩んだから感染拡大だ」という論調も、冷静に振り返った方がいいような気がします。「緊張感」もそうかもですが、実際に検証されるべきは、当時の対策や施策なんじゃないかなと思ったりもします。
3月25日、小池都知事が「感染拡大の重大局面」との会見を開き、「3つの密」、すなわち3密を避けるよう呼びかけました。いよいよやばい、という雰囲気が充満してきます。緊急事態宣言はいつ出るのか、という論調もみられるようになりますね。
そして、4月7日、「緊急事態宣言」が1都7県に発出されます。ここからは、割と、覚えている人も多いんじゃないでしょうか。「ステイホーム」「ロックダウン」「3密」とかですよね。記事の上では、一つの区切りかなと思うので、ここで時系列ごとの振り返りは一旦止めたいと思います。
これ以降も、皆さん知っての通り、感染拡大と感染の波の収束を繰り返し、2023年1月に、5月に5類に移行することを決定。約1年前の2023年5月に5類に移行し、現在に至ります。
「第一波」以降について
第一波について、日付単位で、かなり詳しく振り返りました。というのも、冒頭書きましたが、私は2020年の2月〜3月、団体の新歓的なのに関わっていたおかげで、コロナ禍に巻き込まれていく、まさにコロナ禍の最初期をよく記憶しているんですよね。そういう人も多いんじゃないかなと思いますが。だから、記憶があるうちに、書き残しておきたかったというのが一つ。少し、自己満足的ですがね。
そして、第一波の終わり頃、私は、コロナ禍で体調を崩した影響で2〜3ヶ月、当時の社会とは少し離れたところで時間をすごしました。なので、この時期の世の中の流れというのは追いきれてないんです。2020年ごろは特に。もちろん、私の中での経緯というか、流れは追えますけれども。ただ、このペースでブログに書き続けていたらきっと続かないと思いますし、今回の記事の趣旨はそこではないんです。ただ、特に政治的社会的な流れに関しては、人任せになってしまうかもですが、ぜひ誰かに時系列に沿って振り返ってほしいし、それを読みたいと思います。また個人的のコロナ禍の暮らしに対する振り返りにも、とても興味があります。私も、余裕があれば別記事に書くかもしれません。
ただ、第二波以降から書かないのもちょっと違うというか、第二波以降の出来事に関連付けて、書いておきたいことがあるので、ここからはダイジェスト的に、取り出してお伝えしたいと思いましたが、書ききれませんでした。
ですので、ここには書ききれなかったトピックについて、主に中の人むけのメモとして、箇条書きしておきます。
- 「歓送迎会」でクラスターを産んだ大学や関係者へのバッシング
- 「コロナ禍」の「ストレス」が背景? 有名人への誹謗中傷
- 「自粛警察」「他府県ナンバー」「トイレットペーパー品薄」
- 「科学的知識」「科学的思考」
- 「旅行系YouTuber」へのバッシング。決められたルールの中で行動しているのに、「みんながやっているのに」「今行くなんて」といった批判の根底には何があるのか。
- 「同調圧力」
- 東京オリンピックへの開催賛否
- 「テレワーク」は定着したのか。「メタバース」的世界は到来するか。
- 「リニア不必要論」はどうか。「人流」は回復したのか。人と物と情報の往来はどう変わったか。
- コロナによって「グローバリズム」「資本主義的」社会の歪みや脆弱性が露呈したという議論。コロナを機に変われるのではとした期待は、結局どうなったのだろう。(自分としては、コロナ禍の揺り戻しで、むしろコロナ前の流れが強まっている? 肌感覚としてそう感じたりもする) コロナが社会変革につながったのだろうか。それともこれからなんだろうか。もうないんだろうか。
- 「お願いベース」日本モデルはどう総括されるか。「緊急事態条項」議論への影響はどうなったか。
- 「反ワクチン」「コロナは風邪」などいわゆる「陰謀論」とどう向き合うのか。どうコミュニケーションするのか。コミュニケーションは可能か。対話を諦めていいのか。
また、「結局コロナとはなんだったのか」に対して、正しく理解した方がいいと思うという話を書き残しておこうと思います。
コロナ禍の終わり頃の感染流行時、1日の感染者が1万や2万人を超えるようになりました。そんな時に、「今の感染者数じゃ、コロナが出始めた時、数十人、数百人でやってた時と比べ物にならないね」みたいな会話をした人は少なからずいたんだと思います。
では、だからコロナが出たての時は過剰反応だったとか、あの緊急事態宣言や政府の対応は必要なかったのか、というと決してそうではなかった、ということは、コンセンサスを持っておくべきなんだと思います。コロナが発生した最初期は、文字通りの「未知のウイルス」でした。重症化率も高く、世界の誰も免疫を持っていないから、爆発的に感染拡大し、医療崩壊につながる恐れがありました。実際医療崩壊が起こった国があるほか、日本の一部の地域でも、医療崩壊が起きたという指摘もあります。だからこそ、未知のウイルスであり、このウイルスに対処する術を知ったり、状況を整える時間確保をする必要があったこと。医療崩壊を防ぐために、感染状況をコントロールする必要があったこと。ワクチンをその間に開発する必要があったこと。だからこそ、様々な制限が取られたこと。
こうした論理、理屈は、ジョンソン首相がイギリスのロックダウン時に発したメッセージで語られたりもしました。
今振り返っても、適切かつわかりやすいメッセージだったのではないのかなと思います。
こういう経緯だったからだ、という確認をすること、コンセンサスを得ることが、今一番大事なんだと思います。そうでないと、もしまた同じパンデミックに遭遇した時、あるいは、それ以外の非常事態に直面した時に、合意形成を図ることが難しくなってしまうような気がします。
コロナ禍の総括について
さて、ここまで書いてきて、私は、「全然総括されてない」というつもりではなくて、日本国内でも総括はされています。2020年の10月には、「新型コロナ対応・民間臨時調査会」が総括を行なっているようです。
これ以外にも、今回の記事の中でも登場していますが、様々な報道機関が、いろいろなタイミングで個別の政策や、政府対応、社会の動きなど、検証を行なっています。ただ、第一波、第二波、など、波ごとに振り返りは結構しっかりされていたりしますが、5類に移行して、落ち着いた、今のようなタイミングに、全体を通した総括、というのはそこまで多くないのかなと思ったり。のちにも書きますが、私含めあんまり意識できていなかった部分ではないかなと思ったりします。もし私が知らなかっただけでしたら、それはごめんなさい。個人的には、5類移行1年となる5月のGW頃にNHKとかいろんな報道機関が、そういった特集を組んでくれるんじゃないかなと、思っていたりはするんですけれどもね。ぜひこの期待は当たってほしいです。
国会では、2022年に野党党首から、「国会に調査委員会を設けるべき」という発言があったほか、2023年6月に、「新型コロナウイルス感染症対策検証委員会法」なる法律が議員立法で提出されたようですが、結局閉会中審査になってしまっています。
同じことを言っている人はいるみたいです。特に、政府の分科会会長を務めた尾身さんは、日経新聞の記事で「政府が責任を持って検証すべき」と発言されています。政府は2022年にコロナ対応の検証を行いましたが、尾身さんは、「様々な課題を記しており、私は賛成する部分もあるし敬意を表する」と前置きした上で、「あれだけ大変な思いをしたコロナ対策を5回の会合でまとめあげることには少し時間が十分ではなかったのではないか」。行政官、政治家、専門家などの様々なプレーヤーが、「何を行い、何を発言したかなど、公表された資料をもとに検証する必要」があるのではないかと指摘しています。
国や、様々なレベルでの振り返りはとても大事です。少し発散的な話をしますが、こうして振り返っていくことで、「歴史の中での評価が定まっていく」んだと思っています。それが、歴史が作られていく過程、ではないかなと思っています。
そして同時に、私たちもこうした振り返りを意識しているのかな? ということを考えました。これが、私が今回この記事を書こうと思ったきっかけです。
「ほとんどが正常化した」今だからこその振り返り
5類に移行するときも、「ほんとに移行できるんかな」みたいな半信半疑感がまだありましたよね。それに、海外旅行に制限なく行ったり、制限なくライブで声出ししたりとか、そういう、「コロナ禍前の日常」を取り戻した1年でもあったのかなと思います。
「コロナ禍」では、自分が罹患するかもしれない、家族や友人にうつすかもしれない、身近な人を巻き込むかもしれない、みたいな恐怖がみんな多かれ少なかれあったんだと思います。おそらく今、それは、だいぶ薄まってきているのではないかなと思います。だからこそ、コロナ禍の真っ只中で行った振り返りとまた違った、腰を据えた、落ち着いた気持ちで振り返ることができるんじゃないかなと思います。
パンデミックはきっとまた起きます。それは、私たちが生きているうちかもしれないし、私たちがこの世からいなくなった後の世代かもしれません。そして、パンデミックでない、世界や私たちの日常を揺るがすような出来事が、起きてほしくはありませんが、起きる可能性は残念ながら否定できないです。
コロナ禍の前「サピエンス前史」という本が出て、「人類は飢饉と疫病と戦争を克服した」みたいなのが話題になりました。しかし、コロナ禍が始まり、ウクライナでの戦争、パレスチナでの紛争など、「20世紀への揺り戻し」が起きている、といった論調もありました。これらとコロナ禍が生んだ分断は関係しているんだろうかとか、そんなことも考えてみたりします。
冒頭書いたことですが、コロナ禍では様々な分断がありました。経済を優先するのか、感染対策を優先するのか。生業か、全体の利益か。私たちは1つの社会にいるんだってこと、国とは何か、政府とは何なのか、多少なりともみんなが意識したんだと思います。それについて、何を考えたのか。とっても重いテーマですが、きっと大事なテーマです。
私たちが何を思ったか、もそうですが、当時何を思ってそういう選択をしたのか、それは、振り返ってどうだったのか。ということ。振り返ってどうだったか、をもっと具体的にいうと、もちろん「適切だったのか」はあると思いますが、それに対して決して批判的になる必要はないと思います。むしろ肯定的な方がいいのかもしれません。何を考えた、何を恐れた、何を期待した、どういう感情だった、だからこうした。振り返ってみたら適切ではなかったかもしれないけれど、けれど当時の私は筋を通した、筋を通すことが当時の私には必要だった、とか。これは一例ですが、こういう振り返りはきっと今後の人生の役に立つんじゃないかなと思ったりします。
もちろんこれは、そんなことを考える余裕がある人がそれをすればいいし、余裕が出たタイミングでそれをすればいいんだと思います。
私自身、この記事でいろんな都合で書ききれなかった思いや経験がたくさんあり、むしろそっちの方が多いくらいです。けれど、余裕のある時に、折に触れて、アウトプットしていけたらなと思っています。アウトプットの形としては、記事もあるかもですが、自分用のメモでもいいかもですし、当時を知る誰かに話を聞いてもらう、でもいいのかなと思います。私もそんな対話をしてみたいな、とも思っていますし、個人レベルではそれで十分すぎるんじゃないかな、と思います。
まとめ
まとまりなく書いておきながら、「まとめ」という章を作りますが、これが私が今考えることです。
ここまで書いてきましたが、「コロナ禍 振り返り」とかで検索すると、いろんな記事がヒットして、いろんなことを考えている人がいます。(関連:Google検索、朝日新聞、信濃毎日新聞、sp-network.co.jp)
このタイミングで振り返ろうとしているのは、自分だけじゃないみたいです。冒頭書いた、「ちょっぴり不安」も共感できる人がいるんだろうなとも思いました。それだけでも、この記事を書いて良かったかも。
この記事を通して、皆さんが何か一つでも得るものがあれば嬉しいなと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
関連記事
NHK 新型コロナ関連記事全記録: https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/chronology/