「結婚は人生の墓場」について – 20代学生の考え 【正直不動産】

トピック

はじめに

こんにちは。久しぶりのエッセイです。

私は20代前半の大学院生で、最近結婚について女友達と話す機会がありました。

結論から言うと、「まだ結婚どうこうなんて考えられないわあ。なんか、そこまで人生に区切りをつけられない」的な話をしました。自分の中で印象的な出来事だったので、ブログのネタの一つとして置いておいたんですよね。

そして最近、ブイブイ言わせているのが(?)、NHKの正直不動産ですが、この第三話では、主人公が「結婚とは人生の墓場とはよく言ったもんだ」みたいな話を持ち出していたんですよね。

おーなんかタイムリーと思って、この記事を書くことにしてみました。

女友達との鳥貴族

僕には腐れ縁の女友達が何人かいる。その中でもこの前会った友達は、中高時代からの縁である。

彼女には大学2年の時から付き合った彼氏がいる。丸3年以上付き合っていることになると思う。

そんな彼女と、鳥貴族で呑んでいたら、何気なく結婚についての話題になった。その子は最近内定が決まったらしいが、ふと思って聞いてみた。「今の彼氏と結婚考えられる?」と。

「うん」彼女はそう回答した。正直そう答えるだろうとは予測していたが、躊躇いのないその言葉を前に妙に居心地の悪さを感じた。

付き合った当初は色々言ってたくせに。そう頭によぎりながらも、これ以上その子に関して掘り下げても仕方がないし、掘り下げたところでさして面白い話題も出てきそうにないので(失礼)、もう少し一般的に僕の結婚観というものについて話すことにした。

「結婚ってさ、言葉は悪いけど、ある意味自分の人生に諦めがないとできないと思うんだよね」

最近考えている、正直な気持ちだった。

結婚したら、パートナーと子供を養う責任が生じる。特に子供にはひもじい思いをさせるわけにはいかないだろうし、きちんと教育を受けさせてあげる必要が生じる。何を当たり前のことを。そう思うかもしれないが、個人的にこの点が非常に大きなポイントであると感じる。結婚するならば、多くの場合で「安定」が求められるのである。安定とは即ち現状維持であり、ある意味でのゲームセットだ。

「何者かになりたい」きっと多くの学生や新卒社会人はそう思っているだろう。しかし何者になるためには、何かに挑戦する必要がある。挑戦無くして社会的成功はない。挑戦にはリスクが伴う。挑戦と現状維持が対極にあることに、異論を挟む余地はないだろう。

結婚すること、それは、今の自分のありのままを受け入れていないと、これから先の展望や人生設計の見通しに区切りをつけないとできない。そう思うのである。

誤解してほしくないのが、僕は結婚という選択肢を否定したり、そういった選択をする人たちを軽蔑する意図はさらさらない。むしろ、尊敬すらするのである。

それは、(特に同世代やそれ以下の年齢で結婚している人たちに尚更顕著に感じるのだが)、その年齢で、結婚してもいいと思えるほどの運命の出会いをし、関係性構築をし、2人で人生を切り拓ていこうという決意をするに至ったことに対してももちろんそうなのだが、それだけではない。前述の文脈でいえば、今ある幸せを見つめ、子供じみた「何者でもなさ」に対する葛藤などからさっさと卒業して、ある意味での(相変わらず言葉は悪いが)「ありきたりな、定型化された幸せ」を手に入れようとしたという点に対する敬意である。

何度も言うが煽っているわけではない。この点重要なのは、「ありきたりな、定型化された幸せ」こそ、実は一番手に入れ難いものであって、かけがえのないことは頭ではわかっている。けれど同時に、「何者でもなさ」に対する子どもじみた葛藤があるかぎり、手に入れられない幸せなのである。

だから、結婚という選択を取れる人々には尊敬する。けれど、僕はその選択肢は今は取れない。これが僕の正直な思いなのである。

この話を、(ここまで回りくどくはないが)女友達に話したら、彼女はなんと言ったかというと。「私も思ってたけど、今はもうないな」と答えたのだった。やはりあっさりしていて、少し不気味に感じてしまったのだった。

「何者になろうとしてもがく若者観」というのは、永遠のテーマであるように感じる。最近観た映画や小説にも扱われるテーマだ。

そして私も、そんな若者のひとりなのだな。

最近の思索はこの結論に至って止まっている。

終わりに

初めてエッセイらしきものを書きましたが拙すぎますね。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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